広島高等裁判所岡山支部 昭和51年(ラ)19号 決定 1976年10月15日
抗告人 川上よしの(仮名)
主文
原審判を取り消す。
本籍岡山県○○郡×××村大字△△○○○番の×地筆頭者川上庄三の戸籍中抗告人の出生年月日「明治四四年四月一二日」とあるのを「明治四四年三月二五日」と訂正することを許可する。
理由
一 本件抗告の要旨は、抗告人の出生日は戸籍上明治四四年四月一二日となつているが、その記載は錯誤に基づくものであり、真実の出生日は同年三月二五日であるから、その訂正の許可を求めるというのである。
二 よつて審究するに、本件記録によれば、抗告人は幼少のころより親から自己の出生日を明治四四年三月二五日と聞かされ、これまで住民届や保険など種々の手続においてこれを使用し、本人及び家族のものたちもこれを信じ切つていたところ、本年に入つてはじめて戸籍の記載を知るにいたつたことが認められる。他方戸籍の記載によれば抗告人の出生届は同人の父林田勇造の届出によつて、戸籍上の出生日から起算して法定の届出期間(一〇日間、明治三一年戸籍法参照)内になされているのであるが、抗告人が右戸籍上の記載にもかかわらず、真実の出生日を明治四四年三月二五日と聞かされ、特段の益もないのに、これを永年使用してきたこと及び、当時の田舎における出生届が必ずしも法定期間内に正確に励行されていたものとは考えられないことや抗告人の生育歴等を勘案すると、右戸籍上の出生日の届出が右のように法定期間内になされていることは、かえつて、父勇造が出生届の遅怠を免れるため出生日を続り上げて届出したものと推認させこそすれ、右戸籍の記載をもつて直ちに抗告人の出生日を認定する資料とはなし難いというべきであろう。とすれば、その間の事情に通じた抗告人の義理の叔母村田つねの「抗告人はまだ雪の少し残つていた三月に生れたことに相違ない」旨の申述及び前記抗告人が永年信じ、これを社会的関係において使用してきた実績などを総合勘案して、抗告人の出生日を抗告人の主張するとおり明治四四年三月二五日であると認定するのが相当である。
三 よつて抗告人の本件申立は理由があるものと認め、これと結論を異にする原審判を取り消し、主文のとおり決定する。
(裁判長判事 加藤宏 判事 山下進 篠森眞之)